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Vol.5 「小型カメラ」の小型化で実現したこと
小さな原板でも引き伸ばして大きな紙の写真ができる。これにより持ち運びに不便な大型カメラより小型カメラの利用者が増えていきます。
大正12年(1923)発行の吉川速男『写真術の新研究』という書籍の「小カメラの勝利」の記事には「現今写真界の状況を見るに最早一般写真家のカメラの選択は小カメラに向つて居ることを何人も否定出来ないであらう」と述べられており、小型カメラの使用がトレンドだったことがうかがえます。
ただし、小型カメラという用語が登場する明治42年と大正12年とでは小型カメラの定義が異なります。前者ではで原板サイズが8.2×10.8cm以下だったのが、後者は同書によると6.5×9cm以下とされています。小さな原板で済むカメラの小型化が進んでいったのです。
また、「小カメラの勝利」と言われるような状況が生まれた要因として、小型カメラがそれまでには得られなかった写真を得られるようになったことがあげられます。『写真術の新研究』には、小型カメラがいかなるところにもかさばらずに持ち運びできるため、その場で突発的に起こった事件や予測できなかった出来事の撮影が可能となったと記されています。その例として、第一次大戦時、毒ガスが充満する塹壕内で戦う兵士が小型カメラで戦場の様子を撮影したことがあげられています。著者の吉川速男は、これを「小カメラの大戦中の最大功績であった」と評価しています。
図1.『欧洲大戦写真帖』「ビアヴエ河沿岸ノ塹壕」 |
それまで、小型カメラの良さは、携帯に便利という点や被写体が気づかないうち内に撮影ができ自然な姿が撮れるといったように可能性が指摘されていましたが、使用者が増えていくなかで、使用の具体例が語られるようになることは、ひとつの変化と言えます。
小型カメラの使用の具体例として、『写真術の新研究』からもうひとつ拾い上げておきたいのが、「昨今では婦人の手提袋の中に時計、万年筆などゝ同格にひそみ」という一文です。カメラといえば、その操作に長けた写真師、つまり専門家が扱う領域だったはずです。ところが、この頃になると一般女性も小型カメラを持ち歩き、旅先の風景を撮影をするといった状況が生まれているのです。
小型カメラだからこそ得られる写真の発見により、撮影場所は写真館に、撮影者は写真師に限られるという観念は解消されました。ただし、性能面でこどもを簡単に撮れるカメラとはなっていません。次回、Vol.1で紹介した小型カメラに行きつくまでをたどっていくことにします。(文責:工藤 克洋)
《参考文献》
吉川速男『写真術の新研究』アルス、大正12年(1923)
《図版》
図1.豊泉益三『欧洲大戦写真帖』大正7年(1918)国立国会図書館デジタルコレクションより引用
投稿日:2024年9月 5日