「カメラをもう一度」春季特別展 特設ページ vol.3

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Vol.3 「小型カメラ」の登場


 小型カメラの登場により、こどもの撮影方法は一変したと木村伊兵衛の言葉を引用してVol.1で紹介しましたが、この「小型カメラ」という用語はなかなか曲者です。というのも、「小型」の定義が時期によって異なりますし、木村の言う小型カメラがいつの時点の小型カメラなのか、特定が難しいからです。何回かに分けて「小型カメラ」の歴史を紐解いていきましょう。
 明治40年(1907)に写真用品を販売していた浅沼商会が『浅沼商会写真機材料目録』というカタログを発行しますが、このカタログには「Camera」という用語は見えますが、日本語では「暗函」「暗箱」とみえるだけで小型カメラに関する記載はありません。
 ところが、明治42年(1909)に大阪の写真用品店の店主・上田貞治郎が発行した『写真機と鏡玉』には次のような記載があります。

近来小形写真機=手札判以下のもの=が著しく発達せると共に其流行も非常の速力で分布せられてゐるのは、之等のものは旅行に携ふるも荷厄介にならざると、之が原板を拡大する引伸法が甚だ簡易に行はれるのにもよる

 「小形写真機」という文言が確認できます。ここに至って、小型カメラというジャンルが登場するのです。同書には小型カメラとして、ミニマムクラップ(高7.4cm、幅9.2cm、奥行3.9cm(レンズ収納時))、アトム(高8.6cm、幅6.6cm、奥行3.1cm(レンズ収納時))、モーメント時計形写真機(直径4.5cm)を紹介しています(図1)。

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図1.『写真機と鏡玉』にみえる小型カメラ

 Vol.2で紹介した1839年発売のジルー・ダゲレオタイプ・カメラは、おおよそ30cm四方のサイズでしたが、約70年後には図1のアトムが指先にカメラが乗るほどの小ささであることを表現しているように、手のひらサイズにまでカメラは小さくなっていたのです。
 ひとまず、明治42年には、小さなサイズのカメラが登場したことはわかりました。しかし、そもそもカメラはなぜ小さくなった、もしくは小さくできたのでしょうか。それを解くには、先の引用文にみえる小型カメラの要件である「手札判以下」という言葉の意味と「原板」の「引伸法」が簡単になったという一文を理解する必要があります。次回にそれを解決していきましょう。

《参考文献》
浅沼藤吉『写真機械材料目録』浅沼商会、明治40年(1907)
上田貞治郎『写真機と鏡玉』上田写真機店、明治42年(1909)
《図版》
図1.上田貞治郎『写真機と鏡玉』上田写真機店、明治42年(1909)国立国会図書館デジタルコレクションより引用

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投稿日:2024年6月15日