「カメラをもう一度」春季特別展 特設ページ vol.24

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Vol.24 写真家が撮りたい日常そのものが変化する


#井上孝治 #写真家を知る #写真史

 Vol.23で、こどもらしいこどもの姿を撮っていた土門拳が、時代が下るにつれ、社会問題に直面したこどもを撮るようになったことを紹介しました。では他の写真家は、昭和における時代の変化をどう受け止めていたのでしょうか。井上孝治の例を紹介します。
 井上自身が、昭和の移り変わりについて言説を残していたわけではないのですが、孝治の子息である井上一氏が次のように述べています。

昭和40年代になると、福岡の街もいたるところに舗装道路ができるなど近代化が進み、車の量も増え、テレビも各家庭に普及し、父の被写体の中心でもある子どもが街から少なくなりました。同時にこの頃から父が家で仕事をする姿をよく見かけるようになりました。現在残っている写真にそれ以降のものが少ないことからも、その事実はよく理解できます。 [井上2001](*執筆者が脱字を補っています)

 昭和40年代(1965)以降、自動車とテレビの普及により、被写体となるこどもが街中から姿を消してしまったため、撮れなくなったというのが、井上が写真を撮らなくなった理由となります。
 被写体がいないため撮れないというのはよくわかります。ただ一歩踏み込んで、ではなぜこどもがいなくなった日常を撮ろうとはしなかったのでしょうか。これは推測ですが、昭和40年代以降が、井上が知る日常ではなくなってしまったことに求められるように思います。自身が持っている土煙が舞う路上のうえで、こどもたちが遊ぶ日常のイメージが失われ、舗装道路の上を車が行き交い、こどもたちが家でテレビを見るのがあたりまえの日常に、日常そのものが切り替わっていくなかで、新しい日常は井上にとって日常とは映らなくなってしまったのではないでしょうか。
 本展では、第7章で高度経済成長期の写真を紹介しています。それ以前の章の写真と見比べて、日常そのものの変化を見つけてみてはいかがでしょうか。(文責:工藤 克洋)

《参考文献》
井上一「父のこと 写真のこと」(『こどものいた街』河出書房新社、2001年)

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投稿日:2024年4月12日