「カメラをもう一度」春季特別展 特設ページ vol.23

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Vol.23 こどもを撮る理由が変わる


#土門拳 #写真家を知る #写真史 #江東のこどもたち

 土門拳が意識的にこどもを撮り始めたのは1952-53年頃で、自宅近辺の路地で遊ぶこどもをモチーフにしていたそうです[土門1976年]。本展5章で紹介している土門が撮った江東区のこどもたちは、まさにその頃の写真です。
 ところが、70年代半ば、土門は撮り始めた頃のようなこどもたちの姿はもう撮れないと嘆いています。

今は、かつて撮ったような子供の写真はもう撮れない。天真爛漫な子供、子供らしい子供は、今の小学生の中から見いだそうとしても、もうみつからない、試験、学習塾というような、子供を締め付ける社会の風潮が、子供から子供らしい大半を奪ってしまったのである。だからある時期からぼくは子供の写真は、子供といっても、単に天真爛漫な子供というより、社会の歪みが子供の世界までおしよせ、そうさせている子供を撮るようになってしまった。[土門1977年]

 「天真爛漫な子供」、「子供らしい子供」が見いだせないとし、それは、「試験、学習塾というような、子供を締め付ける社会の風潮」のせいだとします。ゆえに土門は、ありのままのこどもを撮るのではなく、「社会の歪み」を示すものとしてこどもを撮るようになったとも述べています。
 他のエッセイで、「今は学習塾ばかりで、子供たちは昔のようにおちおちと遊んでいられないので、可哀そうである」や「今、浅草の子供は昔ほど外で遊んでいない。やっぱり学習塾が彼等の若い青春を虫ばんでいるのであろう」と上記引用と同じようなことを述べていますが[土門1976年]、ここでは自身の撮影フィールドから被写体であるこどもたちが消えてしまったという土門の認識がみてとれます。
 本展では、土門の作品として、江東区の遊ぶこどもたちの写真と筑豊地域の炭住で暮らすこどもたちを写真を展示しています。双方を見比べてみて、土門のいう「天真爛漫な子供」と「社会の歪み」を示すためのこどもを見比べてみてはいかがでしょうか。(文責:工藤 克洋)

《参考文献》
土門拳「わが下町」(ニコンサンブックス2『こどもたち』ニッコールクラブ、1976年)
土門拳「私の履歴書」(『日本経済新聞』昭和52年(1977)12月28日付)

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投稿日:2024年3月13日