「カメラをもう一度」春季特別展 特設ページ vol.25

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Vol.25 撮りにくくなるこどもたち


#桑原甲子雄 #植田正治 #写真家を知る #写真史

 こどもたちの遊び場に踏み込んで警戒心を解いた後に撮影したり、被写体に気づかれないうちに撮影したり、はたまたボーズをとらせたり、授業しながら撮ったりと、本展で紹介している写真家は、さまざまな方法でこどもたちを撮っていたことを紹介してきました。
 本展で紹介している写真にみえるこどもたちの表情は、目線がカメラを向いているものについては、警戒する様子はなく、屈託のない笑顔、やわらかい表情がうかがえます。撮られたことを知って怒るこどもがまったくいなかったというわけではないでしょうが、どこか撮られても気にしないといった雰囲気がうかがえます。
 ところが、戦前から撮影をしている写真家たちは、時代が下るにつれ、こどもがいなくなって撮れなくなっただけでなく、そもそもこどもたちを撮ることが難しくなったと述べています。
 ここでいう撮ることの難しさとは、ひとつには写真家として欲しい画が撮れなくなったという意味があります。本展で作品を紹介している桑原甲子雄は、1973年に「撮られ方の歴史」という文章を執筆していますが、そのなかで、撮られる側が撮られることになれ、撮る側が望む画を自ら示す(ポーズする)ようになったと指摘しています[桑原1973]。被写体が自主的に画をつくってしまうことで、かえって撮りたい画を写真家が撮れなくなってしまったのです。
 撮ることの難しさとしてもう一点は指摘できることは、撮影をこどもに断られてしまうというものです。Vol.14で紹介しましたが、1998年に植田正治は、「子供たちに声をかけても、なかなか撮らせてもらえない時代」になったと述べています。こどもたちに声をかけて警戒心を解くという手段すら通じなくなってしまったのです。
 本展は、撮りたい画が撮れなくなった桑原甲子雄が、昭和51年(1976)に撮影した「ワンマンバス」という作品で結びとしています。こどもたちがポーズをしている写真でもなく、撮られることになれたこどもたちを撮影したものでもありません。ですが、かえって自然に撮った写真であるならば、被写体のこどもたちのうつろな表情を目にしたとき、こどもたちを撮ることのおもしろみが見いだせなくなるような気がします。こどもは撮りにくくなったのですが、もしかすると撮りたくないという心情を昭和の写真家たちが抱えていたのかもしれません。

《参考文献》
桑原甲子雄「撮られ方の歴史」1973年(『私的昭和史 桑原甲子雄写真集 上巻 東京戦前篇』毎日新聞社、2013年)


あとがき
 長きにわたり書き綴ってまいりました「#カメラをもう一度」は、この記事で最終回です。同僚からも「長いよ!」と言われた長文の記事に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 本特別展では「写真家が捉えた 昭和のこども」では、カメラの持ち運びと操作性の向上により、こどもの撮影が誰でもできるようになった1930年代から写真家がこどもたちを撮りにくくなった1970年代の作品を展示しております。観覧者からの感想では、展示作品から自分のこどもの頃を思い出したり、自分が写っているのではないかと探してみたり、はたまた現代と比較して当時のこどものたくましさに驚嘆したりして展覧会を楽しんでいただけているようですが、やや視点を変えて、作品がどのように生み出されたのか、カメラの性能や作家の思い・撮影スタイルを意識してみると、別の楽しみ方ができるのではないでしょうか。すでに観覧して頂いた方も、またこれからという方も、本稿を楽しんでいただけたのであれば幸いです。(文責:工藤 克洋)

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投稿日:2024年4月12日