「カメラをもう一度」春季特別展 特設ページ vol.17

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Vol.17 撮られたくない人を撮る


#芳賀日出男 #写真家を知る #写真史 #民俗写真

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図1.春日大社の巫女
『近代舞踊史論』より

 記録として写真を撮っていた写真家として熊谷元一を紹介しましたが、Vol.13では、熊谷が被写体に迷惑がかかる写真は撮らないというスタンスだったことを述べました。それでは芳賀日出男は、被写体とどのようなスタンスで接していたのでしょうか。少し見ていくことにしましょう。
 本展では奄美大島で撮影された写真を展示していますが、それは昭和30年(1955)4月~昭和32年(1957)9月の内で断続的に182日間、島での生活をして撮影したものとされています[石井1998]。現地に赴き、現地の人々の生活に入りこんで撮影していたわけです。
 ただし、当然のことながら撮られることを嫌がる人もいたようです。芳賀は巫女の例をあげています。

明治以後、迷信として弾圧を受けて来た人々なので写真に撮られることを極端にきらう。巫女の中でも盲女は三脚を引き出す金属的な響きにすらヒステリックに反対する。そういう彼女と三日も四日もいっしょに暮すと理解し合い、仲よくなり、まじないの仕方や、男子禁制の室内で巫女相続の秘儀までを写せるようになる。[芳賀1956]

 芳賀は撮影を嫌がられても、それを記録すべきだと思ったら、時間をかけて被写体に寄り添い信頼関係を構築したうえで民俗写真を撮影していたことがわかります。普段立ち入ることができない、儀式の「秘儀」の撮影に成功しているところをみると、なんとしてもその儀式を記録として撮るのだという芳賀の粘り強さがうかがえます。
 本展で芳賀が奄美大島で撮影した「盆燈籠」という写真を展示していますが、その写真にみえるこどもたちは、芳賀の方を見て、まったく警戒心のない表情をしています。「記録」するために当地に通い続け、現地の人からの信頼を得た芳賀が、見事に引き出したこどもたちの表情を、ぜひその目で確かめてみてください。(文責:工藤 克洋)

《参考文献》
石井亜矢子「芳賀日出男 略年譜」『日本の写真家 27 芳賀日出男』岩波書店、1998年
芳賀日出男「私の被写体」『日本カメラ』1956年3月号
《図版》
図1.小寺融吉『近代舞踊史論』日本評論社出版部、大正14年・1922年 国立国会デジタルコレクションより引用

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投稿日:2024年4月12日