「カメラをもう一度」春季特別展 特設ページ vol.16

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Vol.16 学識に基づき撮る


#芳賀日出男 #写真家を知る #写真史 #民俗写真

 満州から東京にやってきた芳賀日出男が、日本の文化にカルチャーショックを受けたことをVol.15で紹介しましたが、その彼が民俗写真家となった経緯をここではみていくことにしましょう。
 そもそも芳賀が村の行事や儀礼に関する関心を持った起点は、学生時代に折口信夫の民俗学の講義を受けたからだとされています[石井1998]。
 その後、在学期間は学徒出陣で兵役につき、終戦を経て、写真撮影のアルバイトや通信社で勤務しますが、通信社が解散の憂き目にあい失職してしまいます。その時、福島の農村に旅をし、正月行事を撮影したのですが、それを大学時代の恩師・奥野信太郎に見せたところ「民俗写真という分野はいままでなかったかもしれない」というコメントをもらい民俗写真家になろうと決意したといいます[芳賀1986]。
 こういった経緯を眺めてみると、日本の村の行事・祭礼にまったく接したことのない彼が、学術的にそれを学び、ふと旅先で目の当たりしたことを趣味であったカメラに収めたことがきっかけで民俗写真家としての道をたどることになったといえます。とりわけ、行事・祭礼に参加したことがなく、学術から入っているところがポイントで芳賀は次のようなことも述べています。

農村の風景、農民の生活、お祭りなどを側面からスナップしても、それだけでは民俗写真は成功しない。その写真が日本の基層文化の何ものかを記録し、日本人を理解する糸口の一枚となっていなければならない。(略)主観的というよりは客観的で、発想よりも知識を重んじる。[芳賀1966]

 ただ単に祭礼を撮影するのではなく、「日本人を理解する」ことを目的に、「知識」に基づき「記録」することを意識して撮影していたことがわかります。本展で芳賀の作品は8点紹介しています。祭礼や行事を主としたものではなく、こどもたちの姿を紹介した写真ですが、大陸育ちの芳賀が日本人を理解するために撮影した写真として鑑賞してみてはいかがでしょうか。(文責:工藤 克洋)

《参考文献》
石井亜矢子「芳賀日出男 季節と人間の対話」『日本の写真家 27 芳賀日出男』岩波書店、1998年
「岡本武のしゃべりスタジオ ゲスト芳賀日出男」『ヤマケイ・グラフィック'86夏号』1986年
芳賀日出男「作画ノート「稲の神」をもとめて わたしの民俗写真」『カメラ毎日』1966年11月号

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投稿日:2024年4月12日