「カメラをもう一度」春季特別展 特設ページ vol.15

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Vol.15 外から見るからこそ


#芳賀日出男 #民俗写真 #日吉駅 #写真家を知る #写真史

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図1.南満州鉄道大連本社
『大連名勝写真帖』より

 農作業の機械化や農家の急激な減少により、集落ぐるみの農作業やその節目に行われてきた行事や祭礼は失われつつあります。この傾向はすでに戦後からみられることでしたが、失われつつあるものを写真に残していこうとしたのが芳賀日出男でした。

 本展では、芳賀が学生時代に撮影した写真と民俗写真家として稲刈りや祭礼、行事を撮影した写真を紹介しています。
 芳賀は満州(大連)生まれの満州育ちで、昭和16年(1941)に慶應義塾大学に進学して初めて日本に渡りました。南満州鉄道の職員であった父親の写真好きの影響で、幼いころから写真に興味をもっていた芳賀は、入学と同時に慶應カメラクラブに入り、野島康三、佐和九郎の指導を受けたとされています[石井1998]。
 はじめての東京での生活を芳賀は次のように述べています。


私が母国を知ったのは十八歳のときである。就学のために東京で暮らすようになった。春の桜の花が咲き散っていく風情の見事さに、まず魅了された。人びとは季節にあわせて着物をえらび、季節の食物を楽しんでいる。演能や歌舞伎の舞台装置も外界の季節につながっている。濃密に季節感と調和して暮らしている姿は、満洲育ちの私にとってまさにカルチャーショックであった。[芳賀1997]

 日本の季節感とそれに応じた人々の暮らしぶりに、満洲育ちの芳賀はカルチャーショックを受けたといいます。本展では、芳賀が東京にやってきた昭和16年に撮影した写真「電車を見にきた子」を展示しております。民俗写真家として活動するずっと前の、それこそ日本でカルチャーショックを受けていた頃の写真です。日本の風土を知らなかった学生時代の芳賀が、どんな思いで、日吉駅に電車がくるのを待つこどもたちの写真を撮ったのか。考えをめぐらせながら鑑賞してみてはいかがでしょうか。(文責:工藤 克洋)

《参考文献》
石井亜矢子「芳賀日出男 略年譜」『日本の写真家 27 芳賀日出男』岩波書店、1998年
芳賀日出男「あとがき」『日本の民俗(下)暮らしと生業』クレオ、1997年
《図版》
図1.大西守一『大連名勝写真帖』東京堂、1924年 国立国会図書館デジタルコレクションより引用

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投稿日:2024年4月12日