「カメラをもう一度」春季特別展 特設ページ vol.13

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Vol.13 プロとアマの差


 見知った人でも、突然カメラを向けられたら嫌な気持ちになるかと思います。スマホやSNSの普及により、撮影が気軽になり、撮った写真の発信も簡単に、かつ不特定多数にできるようになりましたが、被写体に断りなく勝手に撮る行為は、プライバシーの侵害として憚られるようになっています。
 ただ、Vol.10で紹介したように、被写体に気づかれる前に撮ることで、面白い写真や自然な写真が撮れるという感覚も昭和にはありました。実は被写体に対してどのようなスタンスをとるのかで、プロかアマか、その評価が分かれたそうです。熊谷元一は「アマチュアカメラマンの道」というエッセイで次のように述べています。

村にいて村をテーマにした写真は(略)好都合のことが多いが、ただ一つ困ることがある。それは写真は素顔のままが写って変名も仮名もきかないことである。印刷されて多くの人々の目にふれると、その人の名誉をきずつけたり、不快な気持をいだかせるような写真は撮れない。[熊谷1955]

 熊谷は自身をアマチュアカメラマンと認めたうえで、被写体が批判を受けるような写真は撮れないと述べています。
 この熊谷のコメントをうけて美術史家の石井亜矢子は、次のような評価をしています。

この熊谷の村人への気づかいを、記録写真家としては気弱で感傷的すぎると批判することは簡単だ。だが、自分が住んでいる村を撮る以上は第三者的立場にはなりえない熊谷が、村の人々に不快な思いをさせることをなによりも避けたいと思うのは、しごくあたりまえのことであろう。その気持ちに蓋をして、ドライな目を向けた写真を撮ることは、熊谷にとっての本意ではないし真実でもない。[石井1997]

 熊谷の村人が迷惑をこうむるような写真は撮れないという姿勢は、一般的に考えて共感できると思います。ただし、石井の解説によれば、記録写真家としては、たとえ村人が迷惑だったとしても、ありのままを撮ることの方が大切だという考え方があったこともうかがえます。石井はそうした考えを紹介しつつも熊谷を擁護しています。
 熊谷も、被写体に迷惑がかかる写真を撮れないことから、自身はアマチュアなのだと謙遜しています。むしろ、プロかアマかというよりも、被写体を思いやるところに熊谷の優しさがあるように思えてなりません。
 控えめな熊谷の人となりを思い浮かべながら、熊谷の作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。(文責:工藤 克洋)

《参考文献》
熊谷元一「アマチュアカメラマンの道」『カメラ毎日』1955年3月号
石井亜矢子「熊谷元一 撮り続けることの力」『日本の写真家 17 熊谷元一』岩波書店、1997年

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投稿日:2024年4月12日