「カメラをもう一度」春季特別展 特設ページ vol.9

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Vol.9 プロでも忍耐強く-土門拳のこどもの撮り方


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図1.土門拳がこどもを撮影した江東区

 土門拳が意識的にこどもを撮り始めたのは1952-53年頃で、東京の江東区を主なフィールドとしていました[土門1976]。本展5章にみえる土門の作品はまさにその頃の写真です。
 この時のこどもの撮影の仕方について、土門は次のようなコメントを残してくれています。

こどもたちというものは、よその土地からきたぼくのような闖入者をはじめ警戒したり、物珍しげにまわりにたかったりするが、カメラを見せたり、ファインダーをのぞかせたりして、一通りの彼等の好奇心を満足させてやると、すぐに飽きてまたもとの遊びに戻ってしまう。もとの遊びに戻った彼等は、もはやぼくの存在など眼中にない。そこではじめてこっちの仕事がはじまるのである。ゆきずりのスナップでないかぎり、彼等に対する忍耐強いサービスがまず必要である。[土門1955]

 土門は近所のこどもたちを撮るにあたって、こどもたちの警戒心を解くために、自身をオープンにすることからはじめていたことがわかります。ただしこどものすぐ飽きるという性質をよく心得ていて、こどもたちがカメラに飽きて遊びに戻った段階で撮影を始めたとしています。「忍耐強いサービスが必要である」という彼の言葉から、プロであってもこどもを撮るには、時間をかけることが必要だったことがわかります。
 ただし現在は、このようなサービスをして、こどもの警戒心を解いたとしても、世間の目がこどもを撮ることを許してくれないかもしれません。
 本展で土門の江東の子どもたちの写真を前にしたときは、自らこどもたちの輪に入って、ともに遊び、信頼を得てから撮影する土門の姿を思い浮かべてみるとともに、そういった撮影の過程そのものも成り立たなくなっているという目で見れば、こどもを撮影する歴史がより実感できるかもしれません。(文責:工藤 克洋)

《参考文献》
土門拳「"江東のこども"より」『アサヒカメラ』1955年5月号
土門拳「わが下町」ニコンサンブックス2『こどもたち』ニッコールクラブ、1976年
《図版》
図1.日本地図株式会社『東京都区分地圖帖』日本地図、1951年 国立国会図書館デジタルコレクションより引用

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投稿日:2024年3月13日